(18)湯気を払うように お題:温かい食べ物

way to goコンビの食事風景。優貴がSCでのセッションに対して日頃考えていること。光牙加入後〜大和入部前の辺り。



「お待たせ致しました。ビーフシチューお二つですね。パンのお客様」
「はい」
 小さく片手を上げる。目の前に白い大皿が現れた。真ん中には小さな両手鍋のような茶色い厚手の陶製の器が一つ。布巾を手にした店員が蓋を外すと真っ白い湯気が上った。同じものとライスが正面の席に置かれる。
「熱いのでお気を付け下さいませ」
 二人揃って会釈で返事をすると、店員も同じように一礼をしてキッチンに下がっていった。
 いただきますと手を合わせてスプーンを取る。なかなか湯気が収まる気配はなく、ビーフシチューに埋もれた具材の姿は霞むばかり。たった今までふつふつと大鍋で煮込まれていたんじゃないかと錯覚してしまいそうなくらいの熱々加減だ。本当は工場で作って冷凍したものなのかもしれないが……と優貴は小窓で切り取られたキッチンを見やる。しかしチェーン店にもかかわらず決して味は悪くない。こうやって仲間や家族と時たま訪れるくらいには。
 優貴はスプーンに目を落とす。すくってからしばらく経ったシチューはすっかり大人しくなっていた。そろそろ問題ないだろう。念のため数回息を吹きかけてから口に運ぶ。
「うん、美味いな」
「ああ、最近冷え込むようになってきたからな。こういう料理を口にしたくなる。それで今日は誘ってくれたのか?」
 向かいに座った燎も静かにスプーンを運んで味わっている。
「それもある。けどそれだけじゃない」
 スプーンの先端を角切りの牛肉に押し当てると繊維がほろりとほどけて二つに分かれた。片方をすくって持ち上げる。
「今やってる曲」
「マイ・ファニー・ヴァレンタインか」
「そう。それで聞きたいことがある」
 燎の眉根がピクリと動き、ライスに差し掛かった金属が止まる。優貴は牛肉を口にし、とろりとしたシチューと赤身の旨味に軽く目を閉じながら返事を待った。
「俺で良ければ聞こう。苦戦しているのか? そんな風には見えないが」
 燎はカトラリーをテーブルに戻して両手を下ろした。
 そんな風に見えないのは当然だ。見せていないから。燎だけじゃない。翔琉にも光牙にも。努力するのは当然のこと。ただその過程をひけらかすのは違う。客席から見られるものや、周囲から求められているのは結果だけだ。
「ハッキリ言う。俺の今のベースをどう思う」
「ユウにしては要領を得ないな。今の課題曲についての俺の個人的な所感、ということでいいのか」
「ああ」
 燎は腕を組み、片手を顎にやってしばらく通路のカーペットのモザイク模様に視線を落とした。
「俺にとってはかなりやりやすい。助かってるよ。特に不意にBPMの落ちるところだな。滑らかに減衰させる必要があるから繊細さが求められる。変化が出ると途端に前のめりになりやすい曲調だからな……そしてその焦りは一瞬で露呈する。個人的にはユウのベースに合わせる今の形が最適だと思っているが」
「そうか」
 優貴は下を向いてブロッコリーに細く長く息を吐く。
 マイルスのマイ・ファニー・ヴァレンタインは今までにないタイプの曲だった。何度も音源を聴き込み楽譜と見比べてきた。トランペットが哀愁のある歌声を響かせる一方でベースは非常に淡々としており、まず聴き取るために神経を削らなければならなかった。
 セッションの土台、まさにベースを司るのが自分の役割。楽団時代とは似て非なるものだ。ベースは自分一人しかいない。今までの曲はきっちりとリズムを押さえて指揮者のような立ち振る舞いをするのが仕事だった。しかし今回は違う。静かな下支えのような演奏。引っ張り過ぎてもいけないし隠れすぎてもいけない。それは優貴とって途端に加減を難しくしてしまう。
 光牙とミーティングをするのが先ではないか、とは恐らく燎も思っているだろう。だがそれが優貴にとって藪をつつく言葉になるのも心得ているようだ。黙って水の入ったグラスに手を伸ばしている。
 優貴は宙に浮いたスプーンにのったままのぬるいブロッコリーを口に運び、フォークに持ち替え人参をつついた。