(20)Trick or Candy お題:ハロウィン

SC初期メンカルテットによる地獄のハロウィンセッション。主犯はいつものようにリーダーかと思いきや、最大のイタズラをぶちかましたのはまさかのあの人で……?



 階段を上りきり右に曲がると遠くに小さな人影が見えた。部室の前、小柄な体形にピンク色の髪。身長を越えるウッドベースのケース。
 先ほど翔琉からグループチャットで報告があったから部室の鍵はとっくに開いているはずだ。しかし彼はじっと扉の前に立って微動だにしない。燎が近付いてもその態度は変わらなかった。
「ユウ、どうした。もう中には入れるだろう」
 燎が歩み寄って声をかけるも優貴は一瞥もくれず、中に親の仇でもいるかのように扉を睨みつけるばかりだ。
「入れるが入りたくない」
 部室の中からは軽やかなドラムの音とご機嫌な歌声が漏れ聞こえてくる。いつもの土曜日の朝だ。天気もいい。気温もちょうどいい。空気もほどよく乾いていて楽器にも優貴の髪にも優しい絶好の練習日和ではないか。
「どうして。らしくもない」
「らしくもない? 今日が何月何日か分かって言ってるのか」
 優貴は眉間のシワをより深くし動物の威嚇のように唸り声を上げる。
「十月三十一日……確かにハロウィンだが、特に何かする予定はなかっただろう」
「だからだ。予定がないのがまずい。予定がないということはカケルが何か企んでる証拠だ。去年のあれを忘れたのか」
 優貴は声を低くしまくし立てる。その剣幕と内容に燎はたじろいだ。
「いや、忘れてはいないが……」
「思い出せリョウ。あの時のカケルのテンション、絶対味をしめてただろ。今年もやるに決まってる。何なら弓に誓っていい」
 燎の脳裏に昨年の悪夢が蘇る。スパンコールがぎっしり並んだギラギラの仮面舞踏会の仮面を付け、トランペットを手に大笑いする翔琉。正直に言うと燎にとっては傑作級のコメディだったが、毎年やりたいかと言われると答えに苦しむ。それに、優貴があまりそういうのを好まない以上無神経に口に出すことは憚られた。優貴がその日たまらず廊下に出てしまうほど笑っていたとしてもだ。
「そう、だな」
 燎はとりあえず調子を合わせる形でお茶を濁した。
「だがこのままずっと突っ立っているわけにもいかないだろう? 俺達が躊躇っている間に余計なことを思い付かれても困る」
「……はあ、それもそうだな」
 優貴は深いため息と共に諦めを口にした。

 部室の扉を引いた瞬間、いつもより一際声の大きい翔琉が出迎えた。
「おはよーっす! 待ってたぞ二人とも!」
「遅かったじゃねーか」
 光牙もスティックを下ろして口を開く。その言葉に優貴の表情に再び亀裂が走る。
「すまない」
「悪い」
 手早く準備に入る二人に翔琉は満面の笑みを浮かべた。
「今日はわかってると思うけど、ハロウィンだからさ〜……な?」
「もったいぶらずに早く言え」
 待ちくたびれたように光牙が踵を鳴らす。
「ごめんごめん! 俺も楽しみで楽しみで! ……てことで、今年もこれやるぞ!」
 じゃじゃーん、と声を上げて翔琉は大ぶりの封筒を皆に見せびらかした。何の変哲もないただの茶色い事務封筒だ。
「よし」
 待ってましたと広角を上げる光牙に対し、やはり悪夢の再来だと優貴は苦い顔をする。
「いい加減懲りろよ……」
「何だよユーキだって去年散々笑ってたくせに!」
「笑ってない! あれはお前が」
「まあまあ、それで今年はどうするつもりなんだ。去年は公平性に欠けるという話で終わっただろう」
 水掛け論の予感にすかさず燎が割って入る。翔琉はニヤリと笑って頷く。
「そこはどうにかなった。これ見てくれよ」
 翔琉は封筒を裏返して見せる。透明なテープで封がされており「〆」の記号の代わりに一言書かれていた。
「二〇二一年 十月三十一日 祖父より……おじいさんか」
「マジかよ!」
 そこに書かれた筆跡はどう見ても大人のもの。反射的に読み上げた燎に光牙は立ち上がって封筒に近付き目を凝らす。
「二人揃って凝りすぎだろ……!」
 耐えきれないといった風に優貴はため息をついてうなだれ首を振る。
「いやあ、曲選びに困ってたらじーちゃんが助けてやるって言ってくれてさあ!」
「動機はいいから! 何でOKしたんだよ! おじいさんもおじいさんだ!」
 詰め寄る優貴に翔琉と光牙は笑う。
「はっはっは! じーちゃんってほんと面白いよなあ! そりゃ確かに俺が選ぶよりじーちゃんが選んだ方が公平にはなるけどさあ!」
「最高だな!」
「そういう問題じゃ……はあ……」
「……観念した方が楽だぞ、多分」
 げっそりした優貴に燎が小声で助言した。

「で、今年はどうすんだよ」
「去年と同じだ」
 挑発的な表情で腕まくりをする光牙に翔琉はテープを剥がしながら答えた。

 一、曲名を確認後、全員に演奏経験がないことを確かめる。万が一あった場合は何かしらのハンデを付ける。
 二、一斉に楽譜を配り揃って個人練習を始める。制限時間は三十分。サンプル音源はスピーカーで二回まで流す。聴くかどうかは任意。
 三、時間が来たらすぐにセッション開始。失敗したら罰ゲームとして仮装しセッションを再開する。
 四、失敗したら自己申告すること。ごまかしてもいいが、他人への告発も許可する。
 五、仮装せずセッションを終えた人の勝ち。

「ルールは大丈夫だな?」
 翔琉の呼びかけに全員が頷く。
「よし、じゃあ開けるぞ……お?」
 翔琉は勢い良く封筒から手を引き抜き、紙束に目を丸くする。早く見せろと催促する光牙に翔琉は一組手渡した。燎と優貴にもそれぞれの分が渡る。
「……candy、か」
「ハロウィンだからお菓子の曲ってことか」
「バカ! この単細胞! そんなわけあるか最後のページを見てみろ」
 食ってかかった優貴に光牙が楽譜をめくると、最後に英語と日本語が並んだノートのコピーが出てきた。光牙は顔をしかめて読み始める。
「はーっ! じーちゃんやってくれたな!?」
「やられた……どうしておじいさんに任せたんだトモ。ジャズに詳しいお前ならこれくらい予想出来ただろう……!」
 大笑いする翔琉に今度は燎が追及する。優貴は椅子にプリントを置いて崩れ落ちた。
「翔琉。ジャズスタンダードってこんな曲ばっかりなのか……?」
 砂糖菓子そのものよりも甘い言葉がびっしり並んだ歌詞から光牙が顔を上げる。謎の外国料理を食べさせられたかのような複雑な顔つきだった。
「えっと……必ずしもそういうわけじゃないと……思うんだけど……って、リョウ?」
 気まずそうに目を泳がせた翔琉の隣で燎が突然背中を向け窓際に向かって歩き出した。窓枠に手をついて肩を震わせている。
「トモ、封筒の中を」
「え?」
 言われるがままに中をのぞき込んだ翔琉は、底に溜まっていた毛むくじゃらの黒い物体を一つつまみ上げる。見慣れないそれをしげしげと観察し正体に気付いた瞬間、封筒を握り締めたまま床に膝を付き笑い声を上げた。
「ひ、ひげ!! しかもきっちり四人分……!!」