[04]らぶおん

短いの4本。ゲーム冒頭のイメージで書きました。誰ともフラグは立ちませんが、元ネタが元ネタなので何でも許せる人向けです。



『冬のささやき編』



 私は手で口を覆って生あくびを噛み殺した。帰国して一週間。まだ時差ボケが治っていない気がする。そんな私に突然スピーチコンテストに出ろだなんて、この学校は無茶苦茶だ。帰国子女全員がすごい体験をしているなんて思わないで欲しい。
 舞台袖には私以外にも何人かの生徒がいて、リハーサルの順番を待っている。制服はあるのにみんなバラバラの着方だ。準備してくれた親には悪いけど、私もやめようかな。向こうでは制服なかったし。
「レイちゃん何してるん?」
「人を食べてマス」
 私はギョッとして声のする方を見た。真っ黄色のシャツの男子が、自分の手の平に人差し指と中指を揃えてトントンと押しつけて口に運んでいる。褐色の肌に編み込みの銀髪。どこ出身だろ。英語で通じるかな。
「それ人っていうか……寿司の握り方やで?」
「スシ!? ウデマエデスカ?」
「板前さんやな。どっちにしろちゃうんやけど……ちょっと貸してみ」
 白と赤のカットソーの男子がその手を取って、二本指を人差し指一本に直している。私は久しぶりの関西弁に急に懐かしさを感じながらーーといっても向こうに行く前にテレビで見ただけなんだけどーー、近くの壁にもたれた。
 さっきまでステージでリハーサルをしていた人が終わったみたいだ。ピンク色の髪の男子がいかにも面倒くさそうに半目でだらだらと帰ってくる。
 それな。私は昨日SNSで仕入れたスラングを心の中で使ってみる。多分合ってるはずだ。日本人なのに日本語を勉強しなきゃいけないのはムカつく。私も目を半分にした。テンションと同じくらいに。
 でもピンク髪の男子は私に気付いた途端にパアッと顔を輝かせて近付いてきた。初対面……のはずなんだけど。
「お疲れ! っつってもそっちはまだなんだっけ」
「えっと……うん。もうそろそろ呼ばれると思うんだけど」
「だよねー。残ってるの俺らだけだし……げ」
 彼は話の途中で壁の隅の何かに目を留めるなり、またさっきの表情に戻ってしまった。私は彼の視線の先を確かめる。そこには別の男子が一人、目を閉じまま壁にもたれて立っているだけだ。
「ああ、俺、あっちで待ってるから、後でゆっくり話そ?あとID交換も。じゃあね〜」
「え?」
 IDって、何の。尋ねる前に彼は手をヒラヒラと振ってサッサと出て行ってしまった。先生が直接呼びに来るまで、私は出口から目が離せなかった。





『冬のセッション編』



「待ってたわよ、さあ入って。ちょっとごちゃごちゃしてるけど……ごめんなさいね。すぐに紅茶を淹れるわ。新! ちょっといい?」
 天城先輩はスクール時代の時みたいに優しく私を招いてくれた。指示を出す時はテキパキとしたお姉さんになるのもあの頃と変わらない。
「へ!?」
 新と呼ばれた先輩は、こちらに背を向けてパソコンの画面を見たまま高い声を上げた。猫背が急にピンと伸びて、その拍子に椅子がカタカタと揺れる。
「い、いいけど何で僕が」
「あんたが淹れたのが一番美味しいからに決まってるでしょ! 私の大事な後輩なの。頼んだわよ。アップルティーは好き? ああもうしっかりしなさいよ!」
 食い気味に言いつけられ、新先輩はあたふたと立ち上がる。椅子のキャスターに足が引っかかったところを天城先輩にすかさずフォローされている。
「えっと……はい。好きです。覚えてて下さったんですね」
 スクールでボーカルコース専攻の私は天城先輩とは別のグループだった。でもスクールの合同コンサートで一緒に組んだのをきっかけに、個人的に音楽の話をするようになった。先輩が辞めた今でもこうしてたまにお茶をさせてもらっている。
「輝はそういうところきちんとしてるからね」
「ありがとう。でも残念ながら何も出せないわよ?」
「構わない。いい音を出してもらえればそれで十分だからね」
「あら、言ってくれるじゃない」
 金髪の先輩がこちらに歩み寄ってきた。
「ようこそ。部長の鳴海だ。君が来るのを楽しみにしていたよ。短い間だけどよろしく」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
 鳴海先輩の金髪と笑顔の眩しさに、私はろくに目も合わせられずお辞儀をすることしか出来ない。
「顔がいいってつくづく罪よね」
 天城先輩は小声でぼやいて、私を奥のテーブルへ導いた。花柄の大きな缶が真ん中に置いてある。
「さ、お茶にしましょ! もうすぐ蒼弥も戻ってくるはずよ。今日はとっておきのを買ってきたんだから楽しまなきゃ」
 天城先輩が近くの椅子を引いて示してくれる。新先輩がお盆を両手にそろりそろりと歩いてきて、震える手で慎重にティーセットを並べる。
「じゃあ、頂こうか。蒼弥が帰ってきたら打ち合わせを……と、」
「悪い! 遅くなった」
 鳴海先輩が言い終わる前に、バタバタと足音を鳴らしながら蒼弥先輩が駆け込んできた。
「その挨拶はいらないみたいだね」
 鳴海先輩は小さく笑って腰を下ろした。





『冬のミラクル編』



 駅から家までこんなに遠かったっけ。
 私は一人ため息をついた。キャリーケースを引きずる手がびりびりと痺れて痛い。ケチらず大人しくバスに乗るべきだった。学生の頃は毎日これくらい平気で歩いてたから余裕だと思ってたのに。
 歳を取ったのかな。ううん、そんなことない。キャリーを反対の手に持ち替えてもう一度歩き出す。
 式場から提示された最終見積書が頭の中を何度もチラついてしまい、ドレス姿の自分がうまく想像出来ない。一番気に入った物にしたはずなのに。引っ越しの費用、家具代、お役所への手続き。結婚ってもっと、幸せいっぱいで何も考えられなくなるくらいきらきらしたものだと思ってた。
 遠くの歓声に私は目をやる。いつの間にか母校の近くまで来ていたみたいだ。
 昼休みなのだろうか。フェンスに沿って歩きながら敷地を眺めると、校庭で数人の男子生徒がサッカーをしているのが見えた。みんな制服のままだ。
 そういえばあの頃、彼があんな風にサッカーをするときはよくジャケットを預かっていた気がする。私は心の中で彼氏の名前を呟く。後先考えずにいられた頃が懐かしい。
 正門が、何となく小さく見えた。
 このまま思い出に浸っていても辛いだけ。見積書といい勝負だ。私はため息をついて、
 ニャーン!
 門扉の上にいた黒猫がこちらに飛びかかってきた。それが最後の記憶だった。

 正門がそびえ立っている。
 私はしばらくの間、遥か上にある湊ヶ丘高等学校の文字をぼーっと見つめていた。妙に足元がごつごつして温かい。下を見た私は叫んだ。
「ニャーン!」
 にゃー……え?
「おっと、これは可愛いお客様だ。君、名前は? ボクは安藝月玲玖。どうか親しみを込めてリック、と呼んでくれ」
「猫は喋れないだろ。首輪がないから野良じゃないのか」
 アスファルトの上にあった黒いフサフサの足が突然宙に浮く。私は身を捩るが、脇の下に差し入れられた人間の手はしっかりと私を支えていて、どうすることもできない。
「本当だ! となると君もボクと同じ孤高の存在か。運命じゃあないか! よし! そうと決まれば孤高のギタリストリックの華麗な音色を聴かせてあげよう!」
 彼は勝手に予定を決めて私を抱きかかえずんずんと歩き始めてしまった。私は振り落とされないように必死で爪を立てる。
「あっ、勝手に野良猫を保護しちゃまずいだろ! ああ、依吹、氷室!ちょうどいいところに。そいつを止めてくれ!」





『冬のオアシス編』



 カチッコチッ、カチッコチッ、
 この小部屋の中では秒針の音がうるさいくらいに大きく聞こえる。もうすぐ時間だ。そうしたらこの音からは解放される。でも。
 私はそわそわと左右を見渡した。陳列は完璧――ほとんど叔母がやってくれたんだけど――、釣銭もたっぷり。名札もちゃんと左胸に付けた。大丈夫大丈夫。私は自分に言い聞かせ、両手で顔を覆った。

 カチッ、キーンコーン――
 頭の中でぐわんぐわんと鳴り響く音に、私はパッと手を離した。下を向いてブラウスの裾を握り締める。社会経験はあるけどやっぱり接客なんて柄じゃない。何でオッケーしちゃったんだろう。聞かなくたって答えはとっくに出てる。
 もうすぐ三十歳。履歴書に空白なんて絶対に作りたくなかった。
 ――カーンコーン……
 消えていくチャイムの音と入れ替わりに、賑やかな話し声やドタバタした足音が一斉にこちらに向かってくる。私は目をしっかり見開いて、小さなカウンターから正面の廊下を見据えた。相手は高校生なんだからいい加減慣れなきゃ。
「はー、腹減った! 今日こそ絶っっ対買ってやるからな! 待ってろよお限定炙りサーモンいくらパン!」
「ざっけんなそれは俺が買うっつったろ!」
「二人とも、廊下は走るなとあれほど!」
 大声で話しながら茶髪の生徒が二人、目の前を横切っていく。吹き荒れる風に私が前髪を押さえカウンターから顔を出したころには、とっくに二人の姿はなかった。
「……はあ」
「とてもさっきまで体育の授業をこなしていたとは思えませんね」
「全くだ。その体力があれば他の授業中もしっかり起きて勉強出来るだろうに」
 のんびりとした話し声に私は急いで顔を引っ込めた。バサバサになった髪に手櫛を入れて姿勢を正し、お腹の前で両手を重ねる。
「仕事が増えてしまいますね」
「全くだ。これ以上練習時間を削るわけには、ああ、失礼しました」
 黒髪の男子がこちらに気付いて立ち止まり、頭を下げる。
「あっ、お、お疲れ様です!」
 間違った! つい前の職場のノリが! 私は上半身ごと頭を下げ返す。顔が熱い。目の前に並んだ文房具に人格がなくて良かった。
「お疲れ様です」
 もう一人の男子がごく自然に優しい声をかけてくれた。私はなかなか顔を上げられないまま、体だけをそろそろと起こした。