[08]枯れ木に黎明

盆栽を鑑賞するワビサビ。時代の流れ。文化と財産の継承。※燎の祖母を捏造 
寄稿:書の鑑賞の続きですが、未読でも構いません。



「大和、すまない。待たせてしまったな」
「いえ、僕も先ほど来たばかりで……おや、珍しいですね。藍染めですか。よくお似合いで」
 大和が振り返る。ダークグレーの羽織に、コンパクトに巻き付けた厚手の深緑色のストール。その下には前回と同じ白い着物が覗いている。
「ありがとう。久しぶりで落ち着かないが、祖母の機嫌を取っておこうかと」
 着物を着ていきたいと切り出した俺に、祖母は待ってましたとばかりに一瞬口元だけで笑った。それからすぐに表情を引き戻し、せっかく似合うんだからもう少し頻繁に着て欲しいんだけどねえと畳に膝をついて和箪笥の引き出しを開けた。
 祖母の気持ちが理解できないわけではない。好きなものを誰かと共有する喜びは十二分に知っている。その相手がいないことの強い孤独感も、今なら。
 しかしどうしてもピアノと音楽が頭を占めてしまう。他の大切なものにどれだけ意識を割いている時でも、頭のどこかに常に音楽が存在していて何かの拍子に顔を出してしまうのだ。自分はきっとこの先も、ずっとこうして生きていくのだろうという予感すらしている。
 その予感が当たっていたと確証が得られた時、そこに祖母はいるのだろうか。常に溌剌としたあの祖母だ。今日明日に何かが起こるとは到底思えないが、今のうちに目に見えぬ財産を継いだほうがいいのではないか。姿見の前にテキパキと着付けの品を広げる背中にそんな感慨を抱いてしまった。

 大和は窓口で入場券のやり取りをしている。
 何でも、自宅を出入りする植木職人のつてで時々招待券を譲り受けるらしい。家族以外で同行してくれる人間がそういないとのことで、俺にお鉢が回ってきたようだ。
 盆栽に関しては全くの門外漢だが、文化に造詣の深い大和の誘いとあらば興味が湧いてくるというもの。
「すごいな……」
「なかなか悪くないと思いませんか?」
 半券を手に園内へ足を踏み入れると、今までに見たことがない類の日本庭園が広がっていた。
 奥の方には純和風の平屋の建物が並び、その手前が広い長方形の庭園。地面は全て舗装されており、中央にはブロック造りの丸い池。その周囲に部分的な芝生や砂利のスペースがあり、要所に盆栽作品が展示されている。
 全体的に人工物が非常に多い。庭園というよりは公園のような印象だ。
「大和。無粋な質問で悪いが、鑑賞のポイントを聞いてもいいだろうか。予習にあまり時間が割けなかったんだ」
「もちろん。ただ、特に難しく考える必要はありませんよ。盆栽は自然を再現したものです。ミニチュアみたいなものだと思って下さい。書と同じではじめは全体の形や雰囲気を感じ取るだけで十分……ですが、やはり君には具体的な方法が合っているでしょうね」
「助かる」
 大和は頷いて先行する。引き締まった冬晴れの空気に、水色の髪がふわりと波打つ。
「例えば……そうですね、分かりやすいのがこちらでしょう。まず葉の様子を見てみましょうか」
 その言葉に従って俺はしげしげと観察した。松のようだ。思い描いていたものよりもかなり大きい。鉢は腰の辺りだが頂点は目線の高さに近い。
 青々とした葉がこんもりと山の形に膨らんでいる。美しく整った見事な曲線だ。針のような葉先は全て上を向いている。張りがあり、色が濃くみずみずしい。
「その見方で間違いありません。さすがですね」
 思った通りのことを率直に口にしてみると、すかさず褒め言葉が返ってきた。大和の性格を加味しても、少なくとも大外しではなかったと思いたい。
「大和の教え方が分かりやすいからだよ」
「そんな……堂嶌先生のご指導ご鞭撻のおかげですよ」
 大和は穏やかに微笑んで、次は幹と枝を見るように勧めてきた。
 幹は深い茶色。乾いた表面には剥がれているところもあるが、どっしりとした風格がある。根はどれも太く、力強く地面を捉えている。大きく広がった枝にも安定感があり、しっかりと葉を支えている。多少の風が吹いてもびくともしないだろう。
 大和は最後に鉢と作品名を確かめるように促した。
 鉢は大ぶりで明るめの茶色。横長の台形を逆さにした形だ。きりりと角張っており樹木の力強さに引けを取らない印象だ。作品名を確かめる。
「青雲」
「はい。なるほどと思うでしょう」
「確かに……」
 俺は腕組みをして唸った。ミステリー小説で謎が解けた時の瞬間のようだ。

 それから俺は大和に付いて助言を得ながら作品を巡った。
 やはり大和の言う通り書に通じる奥深さがある。音楽にも共通点はあるかもしれない。ひと目見ただけで作品の意図がわかるもの、そうでないもの。幼い頃から慣れ親しんできたであろう大和ですら真の理解は難しいのだと言う。
 その大和がふいに動かなくなった。
「おや、これはなかなか……うーん……」
 大和は独り言を漏らして作品を凝視している。目付きを鋭くして前屈みになったり、側面に回り込んで腕組みをして頬杖をついたり。珍しく自分の世界に入り込んでいる。
 その視線の先に手がかりがあるのだろうか。俺は見当を付けて作品を注視した、が。
 まるでピンとこない。
 大和がこんなにも見入るのだからよほどのものだと思ったが、正直さっぱりだ。俺はしかめた顔面から慌てて力を抜き呼吸を整える。
 こういう時は初心に帰るのが第一。武宮先生の教えを元に再度注意深く観察してみる。
 枯れ木だった。
 枝はそれぞれが非常に細く幾多にも分かれており、樹木というより珊瑚だ。それが大きな扇形に広がっている。幹はすらりとして直線的で、全体的に白くかさついている。燃え尽きた炭のようだ。先ほどの松に比べると根も頼りない。鉢はかなり浅い円形だ。
 寿命が近いのだろうか。それにしては引っかかる。悲愴感のようなものがまるで感じられないのだ。かといって生気に満ちているかと言われるとそうでもない。言葉にしにくい印象に首を捻りながら題名を確かめる。
「黎……明」
 これが?
 危うく言葉にしてしまうところだった。
 しかし何故だろうか。一度黎明と言われるとそうとしか見えなくなってしまう。
「これはすごいですね」
 大和は口元にあてがった拳の中で真剣に言葉にした。
「そうでしょう。二百年を越えていますからね」
 スーツに身を包んだ年配の男性がこちらに歩み寄ってきて会釈をする。胸元にはネックストラップの名札が下がっている。
「ご無沙汰しています」
「初めまして。武宮くんの紹介でお邪魔しております」
「これはこれは。ありがとうございます」
 動揺を無理やり押し込んでの挨拶だったが、幸い無礼には当たらなかったようだ。
 男性は大和と二言三言会話をして歩き去り、他の来場客に同じように声を掛けていた。
「二百年……か」
 頭の中で年表と楽譜が同時にパラパラとめくられていく。
 年数からしてこの作品に携わったのは一人ではない。何代かに渡って意志が受け継がれこの作品は今の姿でここにあるのだ。恐らく、また時が経てば別の誰かがそれを担っていくのだろう。人と時代が入れ替わってもこの作品は生き続けていく。
「まだまだこれからですね」
「まだまだ……?」
 ついおうむ返しをしてしまった俺に、大和はさらりと微笑んだ。
「ええ。今度一緒に見に行きましょうか、樹齢八百年の作品を」