太陽と月・家族シンメ。ある男から見たルバートの風景。
「失礼します」
ラストオーダーの数分前。ゆっくりと扉を押し開けてやってきたのは堂嶌君だった。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ! あっ副部長さん、お疲れ様です」
「リョウ! お待ちしてました!」
「すみません、こんな時間に」
「構わないよ。話は聞いてるからね」
「ありがとうございます」
堂嶌君は今時の高校生とは思えないような折り目正しい一礼をする。昔からそうだった。うちの孫と同学年とは。爪の垢でも……と言いたくなるが、翔琉をこういう子に育てたのは自分だ。後悔はしていない。
「リョウ、こっち。ごめんなあ急に呼び出して」
「俺からも、すんません。よろしくお願いします」
「いや、問題ない。俺にとっても興味のある話だからな」
翔琉が勧めたステージ前の椅子を引いて、堂嶌君は荷物を置いた。
オーダーのブレンドの準備を進めながら店内を見回す。栢橋君がドアから外に顔を出して出入口のプレートをCLOSEDにひっくり返し、星乃君を促して台拭きと椅子上げを始めた。その足元に翔琉がモップをかけていく。栢橋君が経験者とはいえ初めは辿々しさの目立つ三人の連携だったが、ほんの数ヶ月でここまで来た。すっかり頼もしくなったものだ。カウンターの内側の隅で妻が微笑む。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
楽譜とノートの広がったテーブルの端にブレンドをサーブする。堂嶌君は珍しくスマホで動画を再生していた。イヤホンを片耳に挿しているので音声は聞こえて来ないが、少年が光る剣を手に飛んだり跳ねたりしながら怪物を倒す映像が流れている。ちらと見ただけでもCGが眩しく、学生を惹き付けそうな華やかな物だ。しかし堂嶌君は一瞥もくれずに譜面に集中している。
レコードの音を落としてキッチンのクローズ作業に取り掛かる。翔琉も堂嶌君から受け取った代金をレジに入金し、清算に入った。一ヶ所を除いて全てのテーブルの清掃はもう終わっていた。見事な手際だ。栢橋君と星乃君にはこれからもずっとここで働いてもらいたいものだが、そうも言っていられないのが残念だ。
「トモさん、終わりました」
「アガリマス?」
「そうだな、先に上がってていいぞ。なあ、じい……店長」
「ああ、お疲れ様。智川君も清算が済んだらすぐに上がってくれ」
「はい」
こちとら実の孫を名字で呼ぶことにまだ慣れきっていないというのに。
「リョウ、待たせた!」
支度を終えた三人はあっという間に出てきてステージに一直線だ。いつもよりかなり早い。よっぽど楽しみにしていたのだろう。閉店作業中にちらついていた目の輝きを今はみな隠しもしていない。
「すぐ準備しますんで」
「三十秒でしたくシマス!」
「それ十秒くらい足らん気がするけどな?」
栢橋君と星乃君がケースを開いて楽器を取り上げる。ツヤツヤした金属面に笑顔が映っている。二人はこれもいつも以上の速さで準備を終えサッとステージに上がった。
「じゃあ時間ないんで、前置きなしですいません」
「カケル、リョウ、お願いします!」
呼び掛けられた二人がテーブルで頷く。それを確かめてから、栢橋君と星乃君が顔を見合わせて胸を張り、大きく息を吸い込んだ。
ハイテンポの曲だ。栢橋君の一音目、ロングトーンが終わるやいなや忙しなく指を動かして音を走らせていく。それを追いかけるような形で、星乃君が一つ一つ音を重ねていく。二人とも前のめりになってしまっては必ず栢橋君が躓いてしまう。かといって星乃君が悠長にしていては緊迫感のあるメロディが死んでしまう。
最初は両手で頬杖をついて爪先で心地よさそうにリズムを取っていた翔琉だが、段々と姿勢を前のめりにし体を硬くして聴き入りだした。堂嶌君も眉間にしわを寄せたまま微動だにしない。
栢橋君は段々と目付きが真剣になっていく。時々目を閉じて手元と音に集中している時以外は星乃君をじっと捉えている。星乃君はまだ少し余裕があるようだが、動きのキレを研ぎ澄ませて全身で栢橋君に付いていこうとしているようだ。
口を離した二人がふうっと息をつく。それでもしばらくの間、店内には剣で斬りつけたような空気が残っていた。
「……な、リョウ。すげーだろ」
「……ああ」
長い夜になりそうだ。
いつもの癖でキッチンを締めてしまった。その必要はなかったのに。私は妻を目を合わせてからケトルを火にかけた。
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