[14]時代

朝のルバート。翔琉とおじいちゃん。変わるものと変わらないもの。抗えないもののなかでどうやって生きていったらいいのか。





「よし!」
 両手を腰に当てて店内を見渡す。
 テーブルは隅々までピカピカ。紙ナプキンはタップリ。椅子もビシッと。パーフェクトな開店準備だ。自分の部屋や教室の掃除はこんなに頑張れないけれど、ここだけは違う。どんなに古くてもキレイなのがいい。
 小傷がいくつも入った窓枠に手をついて外を見る。スカッと晴れ渡った……というよりはちょっと淡い水色。筆で白い絵の具をサッサッと塗ったような雲が広がっている。本当はこの窓も全部開けてしまいたい。でもそれはできない。ルバートのルールだ。
 振り返ると、カウンターではじいちゃんがサンドイッチの仕込みをしている。こうして時間を余らせるくらい大急ぎで開店準備をした俺に比べると、じいちゃんは珍しくのんびりしたものだ。でも何かあった様子はなくて、いつも通りの鋭い目つき。カウンターの陰で手もしっかり動いている。

 ――ドン! ドンドン!
 突然窓の外から大きな音がして、俺はもう一度空を見る。花火のような音だったけれど、それらしいものは何も見えない。
「もうそろそろか」
「そろそろって……何が?」
 開店まではまだ十五分以上ある。じいちゃんの顔を見ると、その目はさっきの俺と同じように外の方を見ていた。
「小学校の運動会だよ」
「ああ! そういえばそうだった」
 昨日の常連さんたちの話を思い出す。明日は孫の運動会だから朝から家族総出だと言っていたな。朝の花火を聞くと気合が入る、でも行かない人にとってはうるさい、時代に合わないからそろそろなくなるかもしれない、と。
「じいちゃん。運動会の花火ってやっぱ時代遅れなのかな」
「そうかもしれないなあ」
 使用済みのふきんを戻しに行く。茶色い木のカウンターはテーブルと同じようにバッチリ拭き上がっていて、ところどころに走る傷が朝日に照らされて白く光っている。
 じいちゃんはマイペースでキュウリを刻んでいる。そうか、今日はモーニング好きの常連さんたちがほとんど運動会だから焦らなくてもいいのか。
「じいちゃん、仕事終わったからちょっと吹いてもいいかな」
 ああ、とじいちゃんが頷く。開店準備が早く終わったら吹いていい。でも必ず許可をもらってから。これもルールだ。

 事務所に戻ってロッカーを開ける。
 ずっと使っている青いトランペットケース。じいちゃんにねだって買ってもらってからもう何年になるだろう。十年くらいになるのか。それでもまだまだ現役だ。パチンと留め金を外して蓋を開く。相棒はいつもと変わりないピッカピカの姿でそこにいて、おはようと笑ってくれる。
 そっと持ち上げてトリガーに指を掛ける。いつかジャズが時代遅れになってしまう日が来るかもしれない。そうなったらジャズ喫茶だってどうなるか分からない。
 ルバートも。
 ぎゅ、といつの間にか握りしめていた手を緩める。
 ダメだ。そういうのは考えちゃいけない。リョウが言っていたじゃないか。先のことを考えていいのはリスク管理というものができる奴だけ。できない奴は考えるな。今だけ見て今できることをやった方がいい。

 今できること。
 店内に戻る。小さなステージに向かって顔を上げる。空っぽのアップライトピアノとドラムセット。ベースの立ち位置。
 ステージに上がる。とても舞台とは言えない、ほんの少しの段差。でも俺にとっては全ての始まりの場所だ。いつものところに立って振り向く。焦げ茶色の四角い扉。左右にふたつずつの四角い窓。ここからは見えないけれど、どこにどんな傷があるかを俺は覚えている。
 トリガーに左手の指を掛け直す。右手の親指の場所を決めて、人差し指から順番にピストンにのせる。最後に小指。いつもの準備。
 よし。

 ふうっと息を吸い込んで、吹き込む。
 朝が来る。