武宮邸でカメラ同好会活動に勤しむ燎。そこで差し出された思わぬ「映え」スイーツとは。以前の「憂鬱」の続編ですが単品でも読めます。
ピピッ――――カシャッ。
シャッターを押し込む。撮れ具合を確かめたいところだが、こうも動く相手だ。悠長なことはしていられない。ファインダー越しの錦鯉はゆったりと尾ひれで水を打ち、ゆらゆらと波紋を広げながらどこともつかない方向へ泳いでいる。しかし、じっとしゃがんでカメラを構えている自分が餌の持ち主だと信じたいのか、時折すっと身をくねらせてこちらに寄ってくるのが面白い。
パシャン。
三匹のうち、朱色と白のまだらに染まった一匹が口を開けた。求めているのはそういう構図ではなかったが、つい反射的にシャッターを切ってしまう。自分のペースで腰を据えて撮影出来る風景ばかり被写体に選んでいたが、たまには予測のつかない生き物相手というのも新鮮でいいかもしれない。
「堂嶌くん、どうですか。撮れ高のほどは」
いつまで経っても餌をくれないことに臍を曲げてしまったのか、鯉はみな池の向こう側へ姿を消してしまった。
「悪い。すっかり没頭してしまった。正直言うと成果に自信はないが、楽しく撮れたよ」
「それはよかった」
呼びに来た大和はにこやかに微笑んで燎を縁側へ案内した。
前回訪れたのはジャズコン前の合宿のとき。八月の猛暑真っただ中だった。あの早朝の空気も良かったが、やはり九月の終わりとなると心地良さは段違いだ。踵を返すその足元で、さらりとした風がそよいで水面にさざ波を浮かべる。さああっと小走りのように音を立てて葉を揺らす木々もどこか穏やかな表情だ。
「では。かなり遅くなってしまいましたが、夏休みのご指導お疲れ様でした。堂嶌先生」
「ふふ、武宮先生もな」
突然の芝居がかった挨拶に小さく吹き出す燎に、
「恐れ入ります」
と大和も笑い返す。
小さな盆にのせて差し出されたのは、しずく型の葉の形をした緑色の小皿。その中央に、ゼリーのような真ん丸い球体が一つ。球体は水のように透明で、皿に描かれた葉脈の一本一本がありありと見て取れるほとだ。片側半分には抹茶色のシロップのようなものが掛かっている。
「これは……初めて見るな」
「水信玄餅の一種ですね。海外ではレインドロップケーキと言われるそうで」
「なるほど、言い得て妙だ」
実際の雨粒に比べれば遥かに大きいが、葉を模した皿に載せた様はまさに雨粒と言ってもいい。
「これも一枚撮らせてもらっていいだろうか」
「もちろん。いわゆる『映える』お菓子としても人気ですから」
画角に大きく収まるように調節して、一枚。
SNSへの投稿目的で写真を撮るという発想がなかったため、意図せず巷の思想を汲んでしまった。いやしかし、これはこれで。燎は手元の液晶を覗いて唸る。後で大和にも見せなくてはと頷き、手を合わせてから小皿とスプーンを取り上げる。
「では、頂きます」
「はい。僕も頂きますね」
スプーンの先端を押し当てる。力を全く入れていないのに、すっと吸い込まれるようにスプーンが進んでいく。
すぐに手首を返す。匙のカーブの中でどうにか形は保っているが、やわらかい。ゆらりと揺れた拍子にぽたりと落ちてしまいそうだ。口に含むと、ほのかに甘みのあるゼリーがまさに水のように溶けていく。抹茶蜜を絡めてみると味がハッキリとして際立つものがある。
「うん……美味しい。随分と高い給料を頂いてしまったな。武宮先生にはまだ何も差し上げていないというのに」
「そんな、いいんですよ」
大和は下を向いて笑みをこぼしながら小皿を置き、湯呑みを取って口に運んだ。燎も小皿とスプーンを湯呑みに持ち替える。
少しくすんだ淡い風がひゅうっと顔に吹きつける。手の中の煎茶は指先の血を温かく巡らせる。
――――パシャン。
遠くで鯉が水面を打った。
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