[22]本当の願い

SC初期メンカルテットの初詣。大みそかの翔琉の話「走り続ける」の続編にあたりますが単品でも読めます。

「よーっす! ごめん、遅くなった!」

 駅の出口からシャリシャリとダウンジャケットの擦れる音がリズミカルに鳴る。手を振りながら駆け寄る翔琉に、

「おせーぞ」

「遅い。また大遅刻かと思った」

「せめて連絡をしろ」

 と三人の声がズレて重なる。

「ごめんごめん! お正月なんだからちょっとくらい大目に見てくれたっていいだろ? あけおめ~の一言だけでよくないか?」

「それは夜リョウの誕生日祝いと一緒にチャットで言っただろ。それに前科持ちに厳しくするのは当たり前。夏のジャズコン、忘れたとは言わせないから」

 苦笑い混じりの翔琉を優貴がすぐさま封殺し、真っ白なため息でとどめを刺した。優貴はチェックのマフラーを締め直し首元に押し当てる。その手はふわふわした厚い手袋で包まれている。ニットで覆われた耳当ても着けており、完全装備といった装いだ。

「毛玉に言われてもな」

「は? 寒々しい格好のお前に言われたくない」

 コンマも間を置かず、優貴は光牙をぎろりと睨みつける。

「人の格好にケチ付けんなよ。寒くねえし。気合いでどうにかなんだろこんくらい」

 光牙は何食わぬ顔で優貴を見下ろしている。両手をポケットに突っ込んでこそいるものの、着ているのはブルゾンと、昨晩雪の舞うほどだった冷え込みにしてはいささか心もとない。スヌードを無造作に被っただけの首まわりには隙間が空いている。指摘されるのはもっともだろう。優貴は厚い前髪の下でさらに顔つきを険しくしていく。

「正月早々相変わらずだな」

「確かに!」

「こいつのせいだ」

「悪いのはお前だろ」

 燎と翔琉の言葉に光牙と優貴は揃って主張した。そんな二人に笑って翔琉は先頭を歩き出す。その後頭部で寝癖が一房ピョンと跳ねている。記憶はあまり定かではないが、昨年の初詣も似たような調子だったような気がする。これからもこんな年明けがずっと続いていくのだろう。燎はマフラーの首元を整え三人の後について歩き出した。


 左右に伸びた駅前の通りは右手だけ人通りが多い。元旦のまだ早い時間。店舗はコンビニくらいしか開いていない。そうなれば自ずと行き先は絞られる。みな同じ場所に向かっているのだ。高架下に沿ってしばらく進み、大通りを渡る交差点に差し掛かる頃には、信号待ちの人だかりが出来るほどだった。青信号を見とめ高架から一歩踏み出すと、白くまばゆい朝日が目を射る。

 三人の話題は昨夜翔琉が伝説のジャズトリオとセッションしたことで持ちきりだった。曲目から始まり、篠原さんのドラムはどうだったと光牙が歩きながら前のめりに食いつき、ベース不在の編成はどんな印象なのかと優貴が真剣に耳を傾ける。そんな優貴に翔琉は、今度皆で同じ曲をやろうと興奮気味に提案した。そしてしまいには、あの時のソロはこんな感じだったとエアトランペットで歌い出し、優貴に「酔っ払いか?」と怪訝そうな顔をされ光牙の爆笑を誘っていた。これには燎もたまらず笑ってしまった。

 延々と続く斜度の緩い上り坂の両側に、紅白の垂れ幕がかかった出店がぽつぽつと現れ始める。早速目を光らせて物色し始める翔琉と光牙に、帰りにしろと燎はたしなめ、優貴は悪態をつく。

「結局今年も四人かあ」

 満たされなかった両手をポケットに入れ、翔琉はしょんぼりと呟く。

「まあ、しゃーねえだろ」

「こればかりは人それぞれの事情があるからな」

「初詣は部活じゃないし」

 中学生の頃、翔琉が燎を誘ったことを発端にこの初詣は習慣となった。渋い顔をしながらも燎の呼びかけを断らなかった優貴に、二つ返事の光牙も加わり、優貴が喪中で遠慮した年を除けば毎年四人はこうして集まっている。高校に入学して正式な部活動が始まってからは他のメンバーにも呼び掛けたのだが、接待で自宅に缶詰めとなる大和を始め、一年生達も遠方の祖父母宅への帰省や親族の集まりなどでなかなか都合がつかず、結果として翔琉の言う通りこの面々での参拝が続いていた。それでも、深夜に日付が変わった瞬間に大部分の部員がグループチャットに顔を出し新年の挨拶と副部長の誕生日を祝うのだから、スカウトしたわけでもないのに真面目で義理堅い面々が揃ったものだと実感してしまう。


 上り坂の終点が見えてきた。参道の上り階段は訪れた人々でごった返していた。

「今年ちょっと混んでる?」

 翔琉は足を止め顔をしかめた。階段の先を見上げても行列の切れ目は見当たらない。

「カケルが遅刻したからだろ。いつもの時間ならもうちょっと空いてたんじゃないか?」

「それはさっき謝ったじゃん!」

「そうだぞ優貴。あんまりカリカリしてっとご利益なくなるんじゃねーの」

「うるさい。それはお前が決めることじゃない」

「そーそ、怒らない怒らない。安らか~な心でお参りしないと」

「お前はもうちょっと反省しろ!」

 へらりと笑って手をひらひらさせた翔琉に優貴が噛みつく。動き出した行列に気付いた光牙はさっさと先を行き、一段飛ばしで石段を上り終え最初の鳥居で会釈する。燎も続いて歩を進めた。林の向こうからお焚き上げの煙が漂ってきて、参拝者たちの白い息と重なる。二つ目の鳥居をくぐり、手水舎で清めを済ませれば本殿はもう目の前だ。


 砂利を踏む音が辺りを埋め尽くす。澄み切った薄い色の空を、左右に広がる本殿の屋根が一直線に切り取る。吸い込んだ息は鼻の奥が痛みそうなほどの冷たさ。しかし、それすらもどこか快さを覚えるような風景だった。これだけの人が詰め掛けていても、この場所の空気は淀むことを知らない。

 燎は三人の会話に相槌を打ちながら、願い事を一つに絞ろうとしてずっと考えを練り直してきた。だがどれもしっくりこない。どんなに努力を重ねても、自力ではどうにもならないことは確かに存在する。しかもそれは一つや二つではない。自分に出来ることが増えればやりたいことも増える。人脈が広がれば懸案も増える。神前で欲張るつもりは毛頭ないが、願望というものは細かいことも含めるとそれこそきりがない。しかし、最後の石段に足を乗せ、いよいよ雑踏の隙間から賽銭箱が垣間見えた時、燎はすっと頭が冷えるような感覚に包まれた。途中の計算式を一足飛びに越えて正解が見えたかのように、これだという答えが一つ浮かぶ。

 途切れのないざわめきの中で賽銭箱に小銭を投げ込む。金属がカンと鳴る硬い音が小さく耳を打った瞬間、わずかな間だけ周囲の音がなくなる錯覚に陥る。柏手を打つ。もう迷いはなかった。


「よーしお参り完了! これで世界一のトランぺッター間違いなーし!」

 人ごみを抜けて開けた休憩所の前まで辿り着くと、翔琉はガッツポーズを決めた。

「トモは毎年それだな」

「当たり前だろ? 願い続ければいつか叶う!」

「カケルはその前に合格祈願すべきだろ」

「俺はしといたぞ。翔琉が卒業できますように」

 容赦なく釘を刺す優貴に光牙が大真面目に頷き、翔琉は情けない声を上げる。

「そっから!?」

「お前はまず自分の心配をしろ」

 そんな翔琉をよそに優貴はせわしなく振り返り、今度は光牙にも苦言を呈した。

「あ!? 余計なお世話だっつの。そういうお前は何にしたんだよ」

「……もっと上手くなりたい」

「んなもんお前なら絶対出来るんだから、わざわざ神頼みしなくたっていいだろ」

 目を逸らして小声で白状した優貴に、光牙は両手を腰に当て、呆れるような励ますような調子で応じる。翔琉は光牙に合わせ、そうだぞと声をかけてから燎に向き直った。

「で、リョウは?」

「……次の年もこうして皆で集まれるようにと」

「そっか。……いっつも思うけどリョウは真面目だなあ! 今日は誕生日なんだから、ちょっとくらい自分中心のお願い事でもいいんじゃないか?」

 翔琉は少し目を丸くしてからニッと笑って燎の肩を叩く。

「そうだな。じゃあお言葉に甘えて言わせてもらおう。今年はあまりお前に世話を焼かずに済むように頑張ってくれ。冬休みの課題はどうなってる」

「あー! 耳が痛いなあ! ちょーっと冷えてきちゃったかも。甘酒あるかな~?」

 そそくさと逃げ出す翔琉に燎は笑いをこぼし、元旦早々に小さな嘘をついてしまったことを胸中で詫びた。罰当たりかもしれないが、翔琉の言うように今回ばかりは大目に見てもらいたい。

 どうか、皆が無病息災でありますように。

 燎は先ほどの願いを反芻し、砂利を踏みしめた。