堂嶌家。12月になると気が重くなること。全部捏造。
「燎くん、今年のクリスマスプレゼントは何がいい? 誕生日プレゼントも決まったら教えてね」
十二月に入ると毎年母はうきうきしながら訪ねてくる。その言葉が次第に重荷になってきたのはいつからだろう。幼い頃はプレゼントを立て続けにもらえることを無邪気に喜んでいたように思う。輝からは、お正月にもホールケーキが食べられるなんてうらやましいと言われた覚えがあった。
はじめは欲しい物が思いつかないという悩みだった。学校の図書室には読み切れないほどの本があり、加えて祖母が定期的に図書館へ連れて行ってくれた。借りられない本は父に頼めば大抵のものは買ってもらえたし、学年が上がるにつれ小遣いの金額が増えてからは自分でやりくりすれば十分事足りた。中学校に入ると父の書斎の本も借りられるようになった。リビングには日中いつでも弾けるグランドピアノと、父のCDコレクションに音響機器。クラシックピアノの譜面であれば母が貸してくれることも多い。唯一いくらでも欲しいものといえばジャズピアノの譜面だが、自己責任でジャズの道を選んで進んでいる以上そこで母の力を借りるのは筋ではない。
いつだってやりたいことは膨大にあり、不足を感じるものがあるとすれば時間だけだった。
しかし、純粋に期待している母に時間が欲しいなどと言うわけにもいかない。ある年、悩みに悩んだ末に半ば消極的に図書カードと口にしたところ、
「……そう? 遠慮しなくていいのよ。本を読むのはとてもいいことだと思うけど……」
と母は複雑そうな顔を見せた。しまったと思った。それからはなるべく具体的に答えるように努めることにした。特に洋書は都合が良かった。さすがに洋書となれば読書好きの父もほとんど持っておらず、図書室にもほとんど所蔵されていない。どうしても読むのに時間がかかってしまうので、貸出期限のある図書館の本は手が出しにくい。数冊ピックアップすれば、家族が想定しているであろう予算に到達する。母の反応も悪くはなかった。店頭になく取り寄せと店員に言われるたび、なぜか嬉しそうにしていた。
恐らく、日ごろ家にいないことが多いからこういう時くらいは母親として世話を焼きたいのだろう。気持ちはありがたいが、わざわざそんなことをしなくたって母は母だ。幼い頃は寂しさを覚えることも多々あったが、祖母と父が寄り添ってくれたからどうにかなった。ピアノに没頭すれば数日などあっという間だ。しかし高校生の今は母に感謝こそすれ、もはや求めるものはあまり思い浮かばない。授業以外の平日は部活と勉強、休日も部活にレッスン。自分のことで手一杯の日々を繰り返すうち、次第に家族のことを考える時間は少なくなっていった。
「燎、このあと時間があったらちょっと書斎に来てくれないか」
母に洋書を頼んだ晩、父が食後に突然声をかけてきた。特に断る理由もなかったので大人しくついていくと、父は予備の折り畳み椅子を広げてデスクの正面に置き、座るよう勧めてきた。ここまでのことをされたのは、中学生の頃ジャズをやりたいと母に打ち明けた日以来だ。父はゆっくりと自分の椅子に腰を下ろし、デスクの上で両手の指を組んだ。それから重々しく口を開いた。
「燎、母さんに遠慮してるだろう」
「――ッ」
父は真剣な顔つきだった。まばたきもせずじっとこちらを見つめている。耐え切れず目線を床に落とすと、父は深く長いため息をついた。
「そういうことだろうと思ってたよ。悪いことだとは言わない。お母さんもお母さんだからな……僕から見ても正直……ああ、この話は一旦置いておこう。父さんから直接言っておくから燎は気にしなくていい」
威厳があったのは最初だけだった。父の言葉は途中から独り言に変わり、すぐにいつもの調子に戻ってしまう。
「今日は燎に相談があるんだ。大したことじゃない。来月ちょっと付き合って欲しいだけなんだが、予定は空いてるか?」
そう言って父は引き出しから一枚の黒い紙を取り出し、こちらに向けてデスクに置いた。
ジャズコンサートのフライヤー。赤字で書かれたバンド名が目を射る。並んだ数枚の顔写真。小さな白い字で書かれたアーティスト名。都内。知らない者はいないほどの会場。高校生が足を踏み入れるのを躊躇う格式の高さ。おいそれと手の出せないチケット代。そもそもチケットが取れるかすら。父はどうするつもりなのか。
父は黙って同じ引き出しに再び手をかけた。まさか。その可能性に思い至った瞬間、めまいに襲われた。体に力が入らず腕がうまく持ち上がらない。どうにか額に当てた手は氷のようなのに、全く頭が冴える兆しがない。年季の入った木材の擦れる音がザラリと手で心臓を撫でる。むせ返りそうだった。そこに何があるのか分かり切っているにもかかわらず頭が答えを見るのを拒否しているしかし自分の目が言うことを聞かず奥歯を噛みしめても強烈な誘惑に抗えないまま二枚の細長い紙切れがひらりと目の前に現れ、
「父……さん……!」
限界だった。上半身ががくんと崩れ落ちる。指先がデスクのへりに辛うじて引っかかったのは、自分でも奇跡だと思った。
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