重めしんどめ。SCと黄金コンビ。茶道の知識がないので現実とは全然違うかも。
「おはようございます」
引き戸に手をかけた。一瞬、学校での笑顔はこんな感じで良かっただろうかと疑問が浮かぶ。
声は完璧だと思う。けれど、今の自分の顔つきが自分でうまく思い描けない。もう少し気さくな感じだっただろうか。反対にやりすぎていやしないだろうか。取って付けたような笑みになっていては困る。自分の表情のほとんどが作ったものだなんて、もうとっくに何人かには知られている。だからといって辞めるわけにはいかないのだ。むき出しの本音を顔で語りながら上手く世を渡る方法を、自分は知らない。
仕方がないので、年明けから冬休み最終日の昨日までひっきりなしだった接待の顔をちょっと崩して使う。初日の出を迎える前の大福茶に始まり、一大行事の初釜。次々訪れる親族やお弟子さんのおもてなしに、今年もお世話になる店先への挨拶回り。「病弱のお坊ちゃん」で大目に見てもらっていた時期は良くも悪くも終わった。連綿と続く細かな慣習、それに基づく家族の仕事や懇意にしている相手。それらは全て将来の自分にそのまま引き渡される。拒否権などない。家以外のことについては、サッカーにフェンシング、ピアノにジャズトロンボーンまで好きなものをやらせてもらっていることが奇跡のようだ。その裏に、再び病に倒れてもらっては困るから体力作りは続けて欲しい、幅広い文化に精通するのはいいことだ、内申点はしっかり取り堂々と人様に顔向けできる学生であれ、など何かしらの思惑はあるだろうけれど。
そんなこんなだ。ろくに部活に顔を出せないほどカレンダーは埋まっていた。多少不審なところがあっても「すみません、ちょっと気疲れが抜けてなくて」で切り抜けられるだろう。あらかじめ家庭の事情とは伝えている。
幸い部活のメンバーは誰も何も突っ込んだ話をすることはなかった。他愛ない世間話に耳を傾け、相槌を打つ。これまで通り――思い出す限りはそうだ――の「いつもの部活の風景」に自分を馴染ませていく。
何かを忘れているような気がする。でも思い出せない。始業式を終えて周囲が慌ただしい日常に戻っても、何となくついていけない。自分の心がいつの間にかどこかに置き去りにされたまま、体だけが動いているような感覚だった。
まさか誰かに聞けるような話題でもない。だから当然解決しないまま時間だけが過ぎて、突然目の前でクラッカーが鳴った。自分の誕生日だった。それも忘れていた。けれどそれじゃない。先月堂嶌くんの誕生日を祝ったときと同じように皆でセッションをし、プレゼントを山のように手渡され、ルバートでまたセッションをし、そこでホールケーキを手に得意満面の笑みを浮かべた智川くんの言葉でやっと全てを思い出した。
「大和のことだから、家でもっとすごいもん食べてるんだろなーとは思うんだけど……おせちもさ、でっかい重箱がドーンって出てくる感じだろ? でもこっちはこっちでそれなりにすごいからさ、食べてってよ! ……って前も言ったな」
言ったよ、と神条くんの一言が飛んできたところでふっと我に返った。
「え、ええ。そうですよ智川くん。でも、僕は嬉しいです。ありがとうございます。こういうことに優劣なんてありません。気持ちが何より大切ですからね」
フォークを手に取り――本当は思い切り頬張りたいところをこらえて――やや控えめに一口。皿にあるものがケーキであっても、染みついたこの所作は完全に家からこの手に覚え込まされたもので、それがとても悔しかった。今だけは自分の出自を忘れてしまいたいと思うほどに。
「とても美味しいです。今年も準備が大変だったんじゃないですか? 忙しかったでしょうに」
「大和ほどじゃないって!」
大きく首を振る智川くんに、この時はきっと作っていない顔を向けていたと思う。
思い出したのはあの味だった。大抵、毎年重箱が空いてくるころ何となく頭をよぎり、舌が思い出す。一人で入っても構わない、けれど自分は何となく一人では入りにくい店内。イメージがないよねと言われるのは常だった。自分でもそうだと思う。だから「サッカー部の帰りに連れてこられた」という体面でいさせてもらった。実際のところ連れてこられることが大半だったからだ。
自分の誕生日にかこつけて同行してもらうことは、可能だとは思う。でもそんな度胸は自分にはない。明日にしようか、いや、もう少し間を空けようか。仲間たちと別れ一人になった帰り道で、カレンダーアプリとチャットアプリを交互に開く。
とりあえず、今日はやめておいた方が無難でしょうね。と画面をロックしスマートフォンを仕舞う。吹き付ける暗い風は凍り付くようで、けれど耳は変わらず皆の音楽とルバートの暖かな空気で包まれている。
もう、大丈夫そうだ。
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