ルバートトリオと翔琉祖父。いつもの閉店後に祖父が振る舞った、ちょっといいもの。
「よーし、じゃあ今日はこれで終わり! 二人ともお疲れ!」
「お疲れ様ですー!」
「お疲れサマータイムです!」
翔琉の声に、拓夢とレイは笑顔で答える。
「あはは! サマータイムときたか!」
「今まだ冬やけどな、レイちゃん」
「はい……夏が待ち遠しいです。ワタシ、日本の夏好きです。みんなで合宿して、練習して。暑いのはタイヘンでした。でもとっても楽しかった。ラムネも美味しかったです」
思い出をひとつひとつ振り返るように、レイは穏やかに目を伏せてゆっくりと語った。
「それに、summer timeはいつ聴いてもいい、素敵な曲です」
「そうだなあ……サマータイムはなあ……こう、いいよなあ。わかる。よーくわかるぞ……」
レイのしみじみとした言葉に翔琉は思わず腕を組み、うんうんと大きく頷いた。サマータイムは昔のアフリカ系アメリカ人を描いたオペラに出てくる子守歌だ。アメリカ人の血を引くレイが取り上げると、何となく説得力が違う気がする。目を閉じると、温かさと物悲しさの入り混じったメロディが頭の中から流れてきて胸をひたひたにしていく。大元の歌のニュアンスを味わえるボーカル版。楽器の音に集中できるインスト版。どちらも良いところがたくさんある。ボーカリストやバンドメンバーごとの違いを考えだしたら本当にきりがない。やっぱりスタンダードはどこまでいっても終わりのない楽しみがある。翔琉はテナーサックスの歌声にもう一度うんうんと頷いた。
「あのー、トモさん。お楽しみのとこすいませんけど、それ全っ然伝わってません……」
おずおずと、けれど的確なツッコミを入れた拓夢に、翔琉はハッと顔を上げジャズの世界から帰ってくる。
「あっ、ごめん! そうだよな、栢橋はピンとこないか。最近かけてなかったし。うーん、本当だったらこのまま流れでいっちゃいたいとこだけど、もう上がる時間だもんなあ! あー悔しい!」
店の外はとっくに真っ暗。翔琉は窓からホールに目を移す。モップをかけたばかりの床。ピカピカのテーブルの上にひっくり返して乗せた椅子。どう見ても後は帰るだけの空気だ。
「栢橋くんと星乃くん、今日はすぐに帰る日かい?」
「いえ、今日はばあちゃんがいるんで適当でいい日ですけど……」
「ワタシも急ぎません」
それまで黙って作業をしていた翔琉の祖父が突然口を開き、二人は不思議そうに目を丸くする。
「じゃあ、サマータイムでも聴きながら軽くまかないを食べていったらどうだい? 常連さんがいいものをお裾分けしてくれてね」
「イイモノ!」
「ありがとうございます! じゃあエプロン付けたままがいいですかね?」
キッチンに入ろうとする拓夢に、祖父は笑って首を振った。
「大丈夫。三人とも着替えておいで。今まで出した中で一番簡単なまかないだからね。手伝うところがないんだよ」
言われるがままに事務所でエプロンを脱いで戻ってきた三人が目にしたのは、火にかけられたフライパン一つと玉子三個。
「あのさあ、じいちゃん。何作ろうとしてるのかは大体分かったけど……それって本当にいいもの?」
「どう見ても目玉焼きですね」
「ウーン……もしかして、いつものSunny-side upじゃなくてover hardですか?」
「はは、焼き方じゃないんだよ星乃くん。この玉子を持ってごらん。それと、両面焼きがいいならリクエストは聞くよ」
レイは、じゃあover hardでと答えながら、差し出された玉子をそっと両手で受け取る。見た目は店で使っているごく普通の玉子と変わりない。が、レイはすぐに何かに気付いたらしく、アッと声を上げた。
「この玉子、大きいです!」
「ほんまや! マスター、これもしかして……すっごくお高いんとちゃいます?」
レイから渡してもらった玉子を手に拓夢はたじろぎ、トモさんもちょっと持ってみて下さいよと玉子を回してきた。確かにいつものより一回り大きく、ずっしりと重い。
「私も最初はそう思ったんだけど、そうでもないみたいだ。気を遣わないで食べていいよ。もしかしたら高級玉子の方がありがたみはあるかもしれないけどね」
祖父は軽く笑って翔琉から玉子を受け取りフライパンの前に立った。それから、じゃあ見てごらんと調理台のへりで玉子をコンコンと叩く。三人はついカウンターから身を乗り出して祖父の手元を覗き込んだ。温まったフライパンの上で玉子の殻にピシッと亀裂が走る。
「うわ!」
「マジ!?」
「ワオ!」
ジューッと湯気が上がり、鉄板に落ちた白身が広がる。そこに乗った黄身は二つだった。祖父は残りの玉子も次々に割る。どちらも黄身は二つ。
「Amazing...」
「全部双子って……そんなん奇跡やん……」
「こんなことあるんだ……やばい、ちょっと鳥肌立ってきた」
三人は口を開けたまま六つの黄身を食い入るように見入った。
「養鶏場の直売所に売ってたらしくてね。物珍しくて買ったはいいけど二十個入りは食べきれないからって分けてもらったんだ。トーストも付けるかい?」
祖父の言葉が右から左へと流れていく。三人は表情はそのままにコクコクと無言の頷きで返事をした。
「じゃあ三枚焼いておこう。翔琉、誰のサマータイムを流すか決まったか?」
「……あーっ! 忘れてた!!」
翔琉は慌てて椅子から飛び降りレコード棚へと走った。
0コメント