(51)堂嶌先生は本日も通常営業〜先輩は後輩の手本であるべし〜 お題:主張

1年生が入部して間もない頃。暁視点。光牙と優貴の激しいバトルあり。心臓の強い人向け。




「だから最初の方がいいっつってんだろ! 大事なとこはドカンと鳴らしてバシッとシメる! シンプルイズベスト!」
 ドスン! と床を踏み抜く勢いで行田先輩が立ち上がった。少し離れて立っていた自分の体にまでビリビリッとした震えが走る。行田先輩はドラムスティックをきちっと揃えて置くと、大股で神条先輩に詰め寄った。一歩進むたびにバスドラムとは違った地鳴りが響き渡る。一秒聞いただけで胃が痛くなりそうな音だ。けれど神条先輩はピクリともしない。ただひたすらに気に食わないという顔つきでウッドベースから手を離し、腕を組み仁王立ちで待ち構えている。
「それが短絡的で安直だって言ってるんだよ。ただ鳴らせばいいってもんじゃない。音を出すだけなら誰にでもできる。俺たちがやってるのは合奏だ」
 神条先輩はまばたき一つせず、真っ向から力強く言い放った。行田先輩は両腕を大きく振りながら大声で言い返す。
「んな細かいこといちいち考えながらやってっから頭でっかちでつまんねえ音楽になるんだろうが!」
「誰が頭でっかちだって?」
「お前だよお前。そこで偉そうにしてるお前だよ!」
「はあ!? 偉そうなのはどっちだよ! そうやってお前が事あるごとに突っかかってくるから無駄な時間と体力を食うんだ」
「それはてめえが体力ねえからだろうが! 温室でぬくぬくしてる暇があったら外ガンガン走ってジャンジャン食え!」
 行田先輩は握りしめた拳から親指を立て廊下を示す。しかし神条先輩は廊下へ一切視線をやらず、両手を腰に当てて鋭く切り返した。
「お前と一緒にするなよこの脳筋!」
「んだと……!?」
 行田先輩がついに拳を震わせ始めた。俺の隣にいた依吹は耐え切れず震え始め、その奥にいた星乃も泣きそうな顔をしながら小声で何かを口走っている。何を言っているのかはサッパリわからない。きっと英語だ。こんな時には自分がどうにかしなきゃいけないのに、何か言わなきゃと思えば思うほど口の中がパサパサに渇いていく。喉の奥が詰まったみたいに全く言葉が出てこない。話すのが苦手ならせめて態度でと思っても、激しいやり取りを続けるあの先輩方の間に割って入る勇気がどうしても湧かないのだ。
 堂嶌先輩はなぜ動こうとしないのだろう。さっきから腕を組んで立ったまま一言も口にしない。真剣な表情でただじっと二人を見ているだけだ。武宮先輩も同じ調子だ。神妙な顔つきで堂嶌先輩を時々ちらりと見てはいるけれど、やっぱり何も言わない。頼みの綱の智川先輩は部長会議。いつもならもう帰ってくる時間なのに、どうしてこんな日に限って。
「ふん、ハーモニーのハの字も分からないならそこで大人しく吠えてろ」
「てんめえ……!!」
「そこまでだ」
 堂嶌先輩が冷ややかに口を開き、二人に歩み寄った。行田先輩が体ごと勢いよく向き直り堂嶌先輩を睨みつける。
「まだ話は終わってねえぞ燎!」
「俺は終わったけど」
 神条先輩は短く息を吐いてそっぽを向いてしまう。火に油を注ぐ行為に行田先輩の怒りが燃え上がった。
「こっちが終わってねえっつってんだよ! 勝手に終わらせんな!」
「光牙、お前の意見はもっともだ。ただこれ以上は水掛け論になる。ユウもその言い方は失礼だろう。論点もずれ始めている。らしくもない」
「それはコウが!」
「ユウ、一旦落ち着け」
 堂嶌先輩は神条先輩の肩に手を置いて静かに言った。あまり感情を感じない言い方だった。けれどその意図は伝わったらしい。神条先輩は最初は床を睨んでぶつぶつと何かこぼしていたものの、そのあと深く息をすると少し落ち着いたようだ。頭を冷やしてくると言い残して部室を出て行った。
「光牙」
「わーったよ」
 行田先輩も斜め下を向きながら頭をガシガシとかき、その手をポケットに突っ込んだ。それから、ちょっと走ってくると言い去っていった。
 廊下に響いていた二人分の足音が完全に消えた。堂嶌先輩は部室の扉から顔を出して外の様子を見ると、戻ってくるなり壁に背中を預け深いため息をついた。
「難儀ですねえ」
 武宮先輩も肩で息をひとつして苦笑いを浮かべる。
「全くだ。こちらの身にもなって欲しいというか、正確に言えば一年生の気持ちを考えろ、だな」
 いつもすまない、と謝る堂嶌先輩に俺たち一年三人は慌てて首を振る。
「堂嶌くん、ひとつ聞いておきたいのですが。お二人の喧嘩をすぐに仲裁しないのには何か理由があるんでしょうか。君なら止めようと思えばすぐできますよね?」
 武宮先輩はこちらを振り返った。気を遣ってくれているのだとすぐわかった。今度は慌ててお辞儀をする。本当に器用な先輩だ。
「確かに大和の言う通りだ。迷惑をかけないように、という理由なら俺もすぐに止めに行く。ただ一応静観しているのにも理由はあるんだ。よく考えれば皆にはそれを早く言っておくべきだった。悪かった」
「いえ。君のことだから何かわけあってのことだろうとは思っていましたよ」
 重ねて謝る堂嶌先輩に、武宮先輩は片手を上げて制した。堂嶌先輩はそこでやっと表情を崩した。
「助かるよ。というのも、皆には自分の意見を言葉にして欲しいと俺は思っているからなんだ。何もあんな風にやれとは言わないが」
 堂嶌先輩は廊下を見やってから少し笑った。その顔つきを見て、自分もずっと緊張していたことに気が付いた。肩が重い。手を当てて揉むと硬くこわばってうまく指が入らないくらいだ。武宮先輩が席を勧めて全員ふらつきながら腰を下ろす。ペットボトルのお茶に口をつけると、すっかりぬるくなっていたのに妙に甘くておいしく、一気に飲み干しそうになる。
「今はただ音を出して人と合わせるだけで精一杯かもしれない。だが、思い通りに出来るようになってくると欲が出てくる。もっとこんな風に演奏したいという気持ちだな。そしてそれは相手も同じだ。だからいつか必ず衝突する。ある意味で本当のセッションの始まりはそこかもしれない、と俺は思っている」
 堂嶌先輩は全員を見回した。衝突する。簡単な一言だけど、それはすごく難しい。思っていることや、やりたいことを言葉にして伝える。相手は賛成してくれないかもしれない。そうなったらまた新しい言葉で伝え直さなければならない。誰の意見を採用すべきなのかわからないまま延々それを繰り返し、どうにかして終わりを見つける。途方もないことだ。自分にできるのだろうか。
「長々と悪かった。そういうことだから皆も何か感じたことがあれば恐れず言って欲しい。大和もな」
「僕もですか。なかなかに難しそうですが、善処しましょう」
「よろしく頼む。じゃあそろそろ始めようか。さすがにトモも戻ってくる頃だろう」
 そう言って堂嶌先輩は席を立ち、もう一度廊下から顔を出した。それからこちらを向いて、噂をすればだとまた少し笑った。