(58)回想 お題:夏休み

夏から冬、春。未知の景色の表現。堂嶌家中心。※ゆあじゃずバレあり




 夏休みには、新しい楽譜を買ってもらっていた。
 その習慣の始まりは小学校一年生の夏だった。今思えば、初めて我が家にやってくる「宿題の山」というものに、両親と祖母も内心戦々恐々だったのだろう。日ごろの宿題は家族の見守りのもとできちんとこなせてはいたが、夏休みは種類も物量も全く違う。いかに息子のモチベーションを保ちながら期限に間に合わせるか。実は自分の知らないところで、いつの間にか家族の夏の戦いが始まっていたらしい。

 終業式から帰宅した直後は、家に祖母しかいなかったため静かなものだった。けれど問題はその夜。仕事を終えた父は嬉しそうに通知表を手にすると、隅から隅までしげしげと読み始めた。隣に座っていた母は横から覗きこみ、担任からの褒め言葉を音読し(やめるよう頼んでも全く聞く耳を持ってもらえなかった。そもそもその文言は昼に祖母が音読済みだ)、りょうくんすごいじゃないとニッコリ。当時は褒められたことを純粋に誇らしく感じていたが、高校生の今思い返してみると、いささか手放しで喜び過ぎやしていないかと言いたくなる。けれど、無関心よりよほどいい。
「最近のドリルってこんな感じなの? かわいい!」
「今どきなのねえ」
「父さんが子どもの頃はモノクロだったぞ」
 と本人そっちのけで白紙のドリルをめくる家族の表情は、今年の夏休みの課題リストを眺めていた時とさほど変わらないように思う。自力で全ての宿題を片付けられるようになっても、家族は折を見て必ず声をかけてきては、息子の好調な様子に喜んでいた。頼んでもいないのに蕎麦屋に連れて行ってくれたこともあった。新しい楽譜もその一つだった。
 高校に入ってからも、今どきの教科書がどんなものか見たいとせがんでくるような家族なのだ。下手したら、自分がもっと幼い頃からそういう性分だったのかもしれない。

 グリーグ 抒情小曲集 第6集 作品57-6「郷愁」
 タイトルの脇に小さく書き添えた日付は、中学生の夏休みを示している。ざっと見渡した譜面は、中間部に密集した高音を除けば余白が広く、タイトル通りいかにもゆったりとした曲調なのが見て取れた。しっかりと練習すれば、技術的にはさほど苦戦しないだろう。というのが初見の印象だった。
 しかし、一度通して弾いてみて愕然とした。
 分からない。
 景色が見えない。
 弾いていて景色が見えないということは、表現できていないということだ。外国の作曲家が描いたものなのだから、日本に住む自分が要領を得ないのは当然と言えば当然。しかしそれを出来ませんの一言で放棄するのは許されない。
 改めて音を辿りながら想像力を働かせてみるも、空白の目立つ譜面のようにどこか荒涼としており、かつ中間部できらめく高音のように美しい遠景が見える。そのくらいが精々。そうなれば当然調べるほかない。
 ノルウェーの山あい。 
 その結果を知った時の感覚は、今でも覚えている。

「そうね。全く知らないことを、体験者として表現できるようになれるかどうか。それって一つの壁かもしれない」
 ノルウェーの山あいがどんな所か分からない、見たことも行ったこともなければ想像すらつかない場所をどう表現したらいいか分からない、と相談した時、母はそう答えた。

 ――ひゅう、
 鍵盤から指を離すと、入れ違いに高い音が鳴った。椅子から下り、カーテンに指を掛ける。垣間見た窓の外は、いつの間にか季節外れの雪が吹き付けていた。もう春は、出国の日は近いのに。

 ベルリンの音を出せるようにならなければ。
 踵を返し、黒い椅子に戻る。