(73)今の私にできることはきっと お題:九鬼兄弟

拗らせピークの煌真ちゃんを見守る天城先輩。以前はこんな時期もあったかもしれない……という想像。





「あら、もう入ってないのね」
 さっきおかわりを淹れたはずのティーポットはいつの間にか軽くなっていた。そんなに飲んだかしら、と首をひねる間もなく最後の一滴がカップに落ちる。
 注いでいた紅茶はカップの半分ほどで止まってしまった。これでは足りそうもない。煌真の分を覗いてみると、あと二口分くらいしか入っていなかった。
「あー……すいません、おいしくてつい」
 煌真が気まずそうに頭を下げる。
 そこに一瞬影が差したような気がして、輝之進はつい手を止めてしまった。いつもの煌真なら、こんな風に謝るときはもう少し笑いが混じっている。
 気を遣わせちゃったかしら、と輝之進は目を落とす。握ったままだった空のティーポットはすっかり冷たくなっている。自分にとっては頂きものでも、煌真からしたら先輩の家でお高めの紅茶を次々に出されている状況。気が引けてしまうのかもしれない。
 でもそんなことはない、はず。輝之進から見た煌真は愛想も要領も良くて、どちらかというと甘え上手。例え先輩相手でも、いい意味で遠慮はしない。他の人なら言いにくいこともストレートに言ってしまう。大抵のことは持ち前の愛嬌でカバーするので嫌味に感じない。
 もし輝之進が同じことを言おうとすれば角が立ってしまうだろう。無意識なのかテクニックなのかはわからないけれど、後輩ながらすごい長所を持っている。
 なので輝之進は普段から遠慮はしないようにと煌真に伝えている。星屑旅団に厳しい上下関係はないし、何より気兼ねなくユピテルの話をしたいから。

「いいのよ気にしなくて! 飲みきれないくらいあるんだから。むしろどんどん飲んでもらった方が助かるわ」
「ならよかったです。ほんと天城先輩の家ってすごいのがじゃんじゃん出てきますよね。ピアノも白いし。なかなか慣れないなあ」
 煌真はマロングラッセをフォークで半分に割りながら笑う。
 よかった、やっと笑った。輝之進の肩からようやく力が抜ける。
「おかわり淹れてくるわね。ローズとシトラスどっちがいい?」
「じゃあシトラスで」
「わかったわ」
 すぐに返事が返ってくるのは気持ちがいい。やっぱり煌真ちゃんはこうよね、と輝之進はティーセットをまとめて一階に下りる。

 煌真ちゃんの家こそ大きいんでしょう?
 その一言を飲み込んだのはきっと正解だった。煌真は不自然なほど家の話をしない。ひとり暮らしのロランは別として、学校ではそれなりに家族の話題は飛び交う。親が勉強しろとうるさい、姉が私の服を勝手に着ていた、弟の声が大きい、とか。煌真ならストレス発散と言わんばかりに愚痴を言ってもおかしくない。
 それに、普段の言動の割に演奏はいつもお行儀よくまとまっているのも気になった。「ガチで練習するのはちょっと〜」などと口では言っていたけれど、趣味でちょろっと遊んでいる程度であんなに吹きこなせるとは思えない。
 実は根が真面目なのか、それとももっと言いたいことがあるのか。掴めそうで掴めない。

 ――やっぱ推しってサイコーですよね。何もかも忘れられるっていうか……。
 さっきそう口にした煌真の表情が何となく頭に残っていた。しみじみと推しに浸っているにしてはどこか違和感があった。何かと聞かれても具体的には言葉にできない、ほんの小さな引っかかり。
 考えすぎかしら。
 それに本当に何かあったとして、口を挟めないのも事実。あの煌真が喋らないならよっぽどのこと。ましてや一人っ子の輝之進にとっては兄弟のいる家庭の事情など未知の世界でしかない。
 何もせずにはいられない、けれど何もしてはいけない。意識して見てみぬふりをするのは気がとがめた。こんな時こそ、煌真のようにうまく言葉にできればどんなに良かったか。いつもあんなに遠慮しちゃだめよと言っているのに、肝心の私がこうだなんて。

 色とりどりの花が満開のギフトボックスを開く。お目当ての黄色いティーバッグはすぐに見つかった。輪切りのレモンやベルガモットのイラストは見ただけでわくわくするものだ。本当なら。
 ポットの蓋を持つ手が、少し重かった。